炎の勢いが弱くなっていた焚き火に水を掛けると、すぐ間近まで迫っていた暗闇に辺り一面が呑み込まれた。
 ブーツの爪先で焼け残りの薪を掻き分け、火が完全に消えていることを確認したミンクは、灯りの燈ったランタンを手に住処であるテントの入り口をくぐる。中では、数週間ほど前からミンクと寝食を共にするようになった蒼葉が先に休んでいるはずだったが、灯火で照らしてみると、彼は毛布に包まって横になってはいたものの、まだ寝付けないのかはっきりした顔でこちらを見ていた。
「なんだ。まだ寝てなかったのか」
 昼間、用があって日常買い出しに行く最寄りの町より遠いところまで足を伸ばしたせいか、帰ってきた時、蒼葉はかなり疲れているように見えた。それで夕食後の片付けもそこそこ、早く寝るよう言ってテントの中へ押し込んだのに、無駄になったらしい。
「んー。少しウトウトし掛けたんだけど、なんだか目ェ冴えちゃってさ……」
 声を聞く限りでは、確かに夕刻頃よりは持ち直しているように感じる。
 ミンクはランタンを手近な木箱の上に置いて、着ていたシャツを脱ぎ、ふと思い立って振り返った。
「しばらく寝付けないようなら、まだ灯りを消さずにおきたいんだが構わないか?」
「いいけど、何かすんの?」
「ちょっと目を通してぇモンがあってな」
 木箱の上に積んであった冊子を指で叩くと、合点がいった様子で蒼葉が頷いた。
「昼間、バイクショップで貰ってたカタログか」
「ああ……」
「見てていいよ。眠くなったら勝手に寝るし」
 柔らかに微笑んだ蒼葉は、マットの端に寄りもう1人が入れる空きを作った後、寝返りを打って背を向けた。遠慮しなくていいとの気遣いだろう。
「悪いな」
「いいって」
 木箱の上のランタンを自分が寝る側の枕元に移したミンクは、カタログを手に毛布の中へ潜り込んだ。
 俯せて頬杖を突きながらページを繰る。
 探しているのはバイクそのものではなく、その横に取り付けるサイドカーだ。製造しているメーカーは国内に幾つかあるが、取り寄せる手間と時間を考慮して、比較的近場にあるメーカーのカタログを選んできた。
 サイドカーなど、以前のミンクであれば必要がないと一顧だにしなかっただろう。それがここ最近になって俄然気になりだしたのは、傍らの存在が原因なのは間違いない。
 変われば変わるものだと苦笑しつつ軽い気持ちで紙面を眺めていたミンクだが、数ページ分を見終える頃には、その表情が微かに曇っていた。
「……」
 知らず溜息が漏れる。
 如何ほどの価格なのか相場を知らなかったとは言え、それなりの期間は切り詰めた生活を余儀なくされることを覚悟していたものの、カタログに提示されていた数字は想像を越えていた。
 安価と言える程度のものもなくはない。しかし、シートが上質であるとか、電動の雨避け幌が付いているとか、そういったモデルには一寸驚くような価格が設定されている。せめて、乗り心地を重視してサスペンションに良いものを採用しているモデルを…と思ったが、やはり結構な値段だった。
 しかも、取り付けるためには、バイク側にも補強用のフレームを追加しなければならないようだ。
 貯蓄に全く関心がなかった自分を、少し恨みたくなる。
 何度目かの溜息を吐いた時、蒼葉が不意に身を起こしてミンクを見た。
「なんか、聞いてっとさっきから溜息ばっか吐いてるけど、どうした?」
「現金収入がほとんどねぇってのは、考えものだと思っただけだ」
「特に困ってないんだし、いいんじゃねぇの? つか、そんな高い買い物しようとしてんのかよ」
 隠すほどのことでもないので、ミンクは蒼葉にサイドカーを購入する計画を立てていると明かす。話を聞いた蒼葉は片眉を上げ、理解不能という表情をした。
「サイドカーってバイクの横に付けるアレだろ? こないだタンデムシート用の背凭れ付けてくれたばっかなのに要らないって」
 蒼葉が言うように、後部座席用のバックレストを買って取り付けたのは、つい最近のことだ。その時はそれで十分だと思ったのだが、何度かそれで出掛けてみて、思っていた以上に同乗者の負担が大きいと気付かされた。ついでに積載できる荷物の量に不満を感じたことも、動機の1つではある。
「お前が後ろに乗ってると荷物を載せられねぇだろうが。サドルバッグだけじゃ容量に限界がある。お前だって楽だろう」
「別に楽したいとか思わねぇし」
 口を尖らせた蒼葉は、小声で「それに……」と呟いた。
 途切れた言葉の先を続けるようミンクが目で促すと、蒼葉はこころもち頬を赤く染めながら顔を背けた。
「サイドカーのほうに乗ったら、アンタにしがみつけなくなる、し……」
 前もろくに見えず、不安定な姿勢を長時間強いられるのは苦痛だろうに、当人にとってそれは些細なことだったらしい。
 率直すぎるほど素直に好意をぶつけられるくすぐったさに、ミンクはつい口元を緩めてしまう。蒼葉はミンクが笑みを浮かべた意味を取り違えたようで、本格的に臍を曲げてしまった。
「荷物を載せたいんなら買えばいいだろ。けど、俺は絶対乗らないからな!」
 捨て台詞としては随分と可愛いらしいことを吐き、くるりと背を向けて頭の先まで毛布を被る。
「本当に買うとなると、しばらくは生活を切り詰めることになるが、いいのか?」
 毛布に向かって問い掛けると、「好きにしろよ」と籠った声が返ってきた。
 とりあえず、購入してもよいとの許可は得た。問題は、買おうと思った第一の理由が消滅してしまったことだが、荷物の収納場所を確保するのも大切なことではあるので良しとする。急いで買う必要もないのだから、日々の生活に支障をきたさない程度に節制して購入資金を蓄えればいい。
 気まぐれで乗りたいと言い出した時のために、それなりのグレードのものを選んでおこうと思う。
 ミンクは、これと心に決めたモデルが掲載されているページの角を目印がわりに折ってから、静かにカタログを閉じた。


                                  END.



 【雲の切れ間〜】の数週間後…という設定で書きました。日常話って難しい。
 物欲があるってことは、生きる気力があるってことでもあると思います。
                                  20120510