ミンクgoodED。【雲の切れ間〜】のさらに後日。
【Shall we become a family?】1P
中天を通過した太陽が半分ほどまで傾いた頃、風通しのよい半日影に吊るしておいた網カゴを回収した。
清潔な白布を敷き、そこに網カゴの中身を丁寧に広げる。干しておいた薬草はいい具合に乾燥しているようで、微かに甘さがある爽やかな香りを肺一杯に吸い込んだ蒼葉は、その出来に笑みを零した。
「蓮! 今日のはかなりいい感じだ!」
『それは良かったな、蒼葉』
「ああ。蓮の言う通り、夕方になる前に取り込んだほうがいいんだな。しなっとした感じ全然ないし」
水分が抜けて幾分か縮んだ葉は、両手で掬うとカサカサと小気味よい音を立てる。
その音と軽い感触を楽しんでいると、小さな前足が蒼葉の腿をつついて注意を引く。
『だが、いつまでもそうやって触っていると、折角の薬草が痛んでしまうぞ。早くしまったほうがいい』
「そうだった!」
オールメイトの冷静な指摘を受け、蒼葉は慌てて手の中の薬草を布の上に戻した。
目立つゴミを取り除きつつ、ある程度まとまった量ごとにハトロン紙に包んで保存用のブリキ缶に収めていく。布の上に広げた薬草があらかた片付いた時には、ブリキ缶も一杯になっていた。シリカゲルの色を見て、まだ効果があるのを確認してから蓋を閉じる。
これで今週分のノルマは達成した。
町にいる仲買人にこれを売ることで得られる報酬が、今の現金収入の全てだ。
森で様々な薬草を摘んでくるのは主にミンクの仕事で、雑草と薬草の区別がつかない蒼葉は、一緒に森へ入った時に教わってはいるものの、なかなか覚えられないため戦力には程遠い。ミンクが物覚えの悪い生徒を詰ることはなかったが、それはどうやら、街育ちの蒼葉には草の見分けなど付くまいと最初から考えていた所為らしく、他にできる仕事はないのかと訊ねたら、薬草を干して小分けにしておく作業を振り分けられた。
期待されていないことに少々腹は立つが、実際ちゃんと覚えられないのだから文句も言えない。与えられた仕事も、仕事と言うには取り組み甲斐があるとは言い難いものだが、だからと言っていい加減な気持ちで臨んでよいわけもないから、蒼葉はできる限り質の良いものを作ろうと努めている。
その努力が実って、ようやく満足がいく出来のものが作れたことは、喜ばしいことだった。また、これしきの事もできないのかと失望させずに済んだと、安堵する気持ちも強かった。
胸を張って出迎えられると思えば、ミンクの帰りが待ち遠しくなる。
狩りのついでに薬草も摘んでくると言って森に入ったミンクは、予定通りであれば、そろそろ帰ってくるはずだった。
木立の陰が黒く長く伸びて、テントの周囲も薄暗くなってきた。
蕩けそうな赤い太陽は、今にも山の端に沈もうとしている。
薪を積んで火を点けた蒼葉は、パチパチと音を立てつつ次第に大きくなっていく炎を見るともなしに眺めながら、心の内に膨れ上がっていく不安を持て余していた。
ミンクがまだ帰ってこない。
何時に戻るとはっきりした約束があるわけでなし、狩りの獲物に逃げられれば想定外の時間を食うことも考えられるが、これまでに予告していた時刻から大幅に遅れて戻ってくることがなかっただけに気に掛かる。
こんな時、コイルによる通信が使えれば良いのだが、ここは人家のある場所からは離れすぎていて、衛星を介さない一般の通信は使えない。連絡の一つも気軽にとることのできないこの状況は、物心ついた頃から、通信は常時接続可能な状態なのが当たり前だった蒼葉をより一層心細くさせた。
俯いて膝の上の蓮を撫で、森の奥へ通じる小道を見ては、また俯いて蓮を撫でる。蓮も安易な気休めを言うよりはと、聴覚の感度を上げ、足音を捉えようと耳を澄ます。
その耳が物音を感知して動いたのは、太陽が山陰に完全に隠れて空が紫色に染まった頃だった。
『蒼葉。ミンクが帰ってきたようだ』
焚き火の炎をぼんやりと見つめていた蒼葉は蓮の声で我に返り、腰を浮かして森の奥を振り返った。
墨で塗り潰したような暗闇を凝視していると、やがて大柄な人影が見えてくる。
「おかえり、ミンク!」
蒼葉は蓮を座っていた丸太の上に置いて急ぎ駆け寄り、その姿に驚いた。
「なんでズブ濡れなんだよ!? つか、血も出てるし! いったい何があったんだ?」
「運悪く、熊に出くわした。……後を追われると面倒なんで、川の中を遡って遠回りしてきたんで遅くなった」
「クマぁ? 熊って…あの熊?」
頓狂な声を上げてから、いわずもがななことを口走ったと恥じ入り、気まずい思いをしながらタオルを取りにテントへ戻る。
数枚のタオルと、思い付いて薬箱を手にして外へ出ると、ミンクは焚き火の前にぺたりと座り込んでいた。
「ほら、タオル。あと、コート脱げよ。干しとくから」
ミンクの頭上にタオルを放り、背後からコートを脱がせに掛かる。水を吸って重くなったそれを椅子代わりの丸太を寄せ集めた即席の台の上に広げ、少しでも湿気が逃げるよう袖の中にタオルを通しておく。
そこまで終えた蒼葉はミンクの傍らに跪き、傷の手当てをはじめた。
「大した傷じゃねぇ」
ミンクが言う通り、手と顔にある傷はどちらも深いものではなかったが、蒼葉は有無を言わさず、消毒液を吹き付けたガーゼを傷に押し当てた。
「ダーメーだ。ちゃんと消毒して絆創膏ぐらい貼っとかないと。化膿しても面倒だろ。にしても、アンタが浅手とは言え怪我するなんてな。熊って強いんだな」
「……テメェは俺を何だと思ってんだ」
「へ? 俺、何か変なこと言った?」
「熊とマトモにやりあって、これしきの傷で済む訳がねぇだろうが」
「ンなの知らねーし。熊なんて、TVか動画か、縫いぐるみくらいしか見たことない」
ミンクはあからさまに肩を落として溜息を吐いた。
「しょうがねーだろ。碧島には熊なんて居なかったんだし。自分が物知らずだってのは判ってるよ。……熊ってそんなに強いのか?」
「ああ。膂力もあるし鋭い爪もある。奴らが軽く一薙ぎするだけで、顔の肉なんざごっそり持っていかれるだろうな。下手をすれば首ごと飛ぶかもしれん」
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