ミンクgoodED。【雲の切れ間〜】から続いているお話です。
【美味しい森】1P


 二人が暮らしている森から最も近い場所にある町には、宿泊施設と呼べるものが一軒しかない。
 その割に、いつ行っても空室があるのは――むしろ、宿泊客が居ることのほうが少ないのは、この町とその周辺に観光資源と呼べるようなものが皆無な所為だろう。
 それで良く経営が成り立つものだと不思議には思うが、おかげで、急に思い立って宿を取ることになっても、門前払いを食わされることはまずないので助かっている。
 今日も、食料品の買い出しを終えた後に会話の流れで外泊を決めたのだが、やはり他の宿泊客はおらず、宿の主人から渡されたのは『いつもの部屋』の鍵だった。


 久し振りに温水のシャワーを堪能し、さっぱりした気分でミンクがシャワールームを出ると、先にシャワーを使った蒼葉が、宿の部屋に一台ずつ備え付けてあるPCのモニタ画面を食い入るように見詰めていた。
 その光景自体はさして珍しいものではない。電子機器全般に興味を持っている蒼葉は、今の住まい事情でそれらに存分に触れることができない分、こうした機会があると僅かな時間も惜しんでPCに噛り付いている。
 だが、ミンクは蒼葉を見て微かに顔を顰めた。
 その格好があまりにだらしなかったからだ。
 ミンクも下半身しか衣服を着けておらず上は裸のままだったが、蒼葉はそれどころではなかった。
 濡れ髪はタオルで適当にまとめ上げたまま上半身は何も羽織っておらず、視線を下げると腰にタオルを巻いただけで、おそらくは下着も付けていないだろう。無防備に晒した素足にスリッパを履いている。
『ミンクからも一言注意してはくれないだろうか? 俺も幾度か先に服を着るよう言ったのだが、生返事ばかりで困っている。空調が効いているとは言え、このままでは風邪をひいてしまう』
 ベッドの上に居た蓮が、途方に暮れたように言った。
 ミンクは呆れ、溜息を吐いた。
 髪の水気がそのままなのはいただけないが、どうせこの後には脱がすつもりなのだから、前向きに考えれば手間が省けて良いと言えなくもない。しかし、もしも蒼葉がそう思って裸同然の格好のままでいたのだとしたら、気分は少し複雑だ。男同士で、しかも今更恥じらいもクソもないが、多少なりの慎みはあったほうがいい。
 ……とは言え、着せておいてすぐに脱がすのもおかしな話か。
 我ながらくだらないことを…と自覚しつつミンクが頭を悩ませていると、顔を上げた蒼葉に手招きされた。
「なんだ」
 生乾きの髪を掻き上げたミンクは、蒼葉が座る椅子の背後に回った。
「このブログ、ちょっと見て欲しいんだけど」
 蒼葉はミンクを振り仰ぎ見つつ画面を指す。その髪をまとめているタオルは、近くで見ると滴が零れそうなほど水分を含んで色が変わっていた。
 ミンクは、水切りの用をなしてないそのタオルを剥いで机上の空いたスペースに放り投げ、代わりに自分の首に掛かっていたタオルで蒼葉の髪を包み揉んでやる。
「うわ!」
 不意打ちを食った蒼葉は驚いて首を竦めた。反射的に逃れようとする頭を、押さえつけるようにしてごしごしと擦る。
「ちょっ、そういうサービスは要らねーから! モニタのほう見てくれって」
 暴れるのも構わず、ひとしきり撫で回して髪の水気を拭ってから、ミンクは蒼葉が示すモニタを見た。
 表示されているのは個人ブログのようだった。それも蒼葉と同じ日本人が書いたものらしく、この国のものとは違う文字が並んでいる。
「これがどうした。読めってのか?」
「本文じゃなくて写真な」
 言われて貼ってある写真に目を遣る。幾つかあったが、写っているのはどれも森の中に生えている雑草だった。
「それがなんだ」
 髪も乾かさず、服も着ず、オールメイトの忠告すら無視してまで見るほどの物かと、ミンクは眉根を寄せる。
「これ書いた人は違う州に住んでるんだけど、ここいらと同じような気候の場所みたいでさ、この時期になると森に山菜採りに行くんだって。これは昨日撮った写真らしい」
「サンサイ?」
 聞き慣れない言葉だった。必要に迫られて日本語の読み書きはあらかた修得したが、記憶を探ってもそんな単語は思い出せない。
「これのことだよ」
 蒼葉が写真の中央に写っている、変哲のない雑草を指で突いた。
「雑草じゃねぇか。そんなモン採ってどうする気だ」
「食べるんだよ。ミンクだって、いつも森で薬草とか摘んでくるだろ? それと似たようなもんだよ。っても俺も、山菜なんて、蕎麦の上にちょこっと載ってんのくらいしか食べたことないんだけどな。碧島でこんなの生えてんの見たことないし」
 そこまで言った蒼葉は、ふと表情を曇らせ、肩を落とした。
「あー、でもミンクの反応からすると、うちの近所には生えてねーのかな……」
 この場合「うちの近所」とは今住んでいる森のことを指すのだろう。しかし、落胆する理由が分からない。
「どうしてそう思う」
「ミンクはこういうの詳しいだろ? 食えるの知らないで雑草扱いするってことは見たことがないのかな〜って」
 自分には子供の頃から教え込まれた祖先伝来の知識があるだけで、植物全般に造詣が深いわけでも、博学なわけでもない。時折、蒼葉は自分を過大評価しているのではないかと思うことがある。
「住処の周囲にはねぇが、少し森の奥へ入れば、こんなモンいくらでも生えている」
「へ? マジ?」
 途端に蒼葉が目を輝かせた。嬉しそうな笑顔を向けられ、不覚にも心臓が跳ねる。
「生えてたらどうだってんだ。食う気か?」
「え、食ってみたくないか?」
 質問に質問を返され、ミンクは顔を顰めた。
「ミンクにもしょっちゅう言われてるけど、俺、街育ちだろ? 碧島は俺が子供の頃にプラチナ・ジェイル建設がはじまってあんなになっちゃってたし。だからナントカ狩りとかナントカ摘みとかっての、やったことないんだ。こっちに来てから薬草摘みの手伝いはちょっとしてるけど、それとも違う感じで、すげー興味ある」
 東江による島の封鎖で慢性的な過密と閉塞状態に陥っていた環境に長く暮らしていたことを考えると、その願いを無下にするのも可哀想かという気になる。
 食用可能と言われてもミンク自身は興味を抱かないが、蒼葉がどうしてもと言うのならば、一緒に森へ出掛けてやるのも吝かではない。
「……好きにしろ」
 つくづく甘くなったものだと思う。
 ミンクが溜息混じりに言うと、蒼葉は少し驚いたように目を見開き、すぐに溢れんばかりの笑みを浮かべた。
「ありがとな! ミンク!!」


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