【雲の切れ間から光射す】5P


 ついつい笑ってしまうと、トリは心外だとばかりに全身の羽を膨らませた。だけどそれは一瞬のことで、すぐに元の大きさに萎むと、苦悩するようにうつむいた。
『……ミンクは、生きて故郷の土を踏んだものの、そこから1歩も踏み出せないまま折角拾った生を持て余しているように見える』
 その言葉に俺は、ミンクの心を暴露したことで知ってしまった彼の切望を思い返した。「一族の仇を討ったら死にたい」そう願っていたミンクには、未来も希望もなかった。復讐を果たした後のことなど毛の先ほども考えてなかったミンクは、もしかすると、生き延びはしたものの、途方に暮れてしまったのではないだろうか。
「ミンクには、やりたいこととかないのかな?」
『あるとは思えんな。俺の見た限りでは』
「そっか……」
 目標とか生き甲斐とかを見出せないままでいる辛さは、俺も身をもって知っている。10代の頃は、自分が何をしたいのか良く解らなくて、それを考える苦しさからも逃げて、苛立つままに荒れていた。プラチナ・ジェイルから生還して日常に戻った時も、東江の支配から解放された街が日増しに活気づいていくのに、自分は何もする気になれないまま漠然と毎日を過ごしているのが申し訳なくて、でもどうしようもなくてキツかった。……ミンクも今、そんな気持ちでいるんだろうか?
「俺はミンクのことを知りたいって思うことで1歩踏み出せたけど、俺がミンクのそういうモノになっても…いいのかな?」
 思い上がるなと窘められるかと思いきや、トリは顔を上げて、でも俺の方は見ずに遠くへ目を向けた。
『……ミンクは失うことを恐れていた。だから、情が移ることのないよう常に他人を遠ざけ、冷酷であるよう振舞っていた。もちろん宿願を確実に果たすためでもあっただろう。だが、心の底では共に歩み、分かち合うことのできる存在を欲していたと思う』
 ミンクはそんなことおくびにも出さないだろうから、全てはトリの推察でしかない。トリの願望って可能性だってある。けれども、長くミンクの傍にいた相棒だからこそ気付くこともあるはずだ。
 俺は開き直って、自分に都合良いように考えることにする。
「じゃあ俺、立候補してみっかな」
『フム……ならば、俺が推薦状を書いてやろう』
 冗談めかして言ってみると、トリも調子を合わせて応えてくれた。



 どこまで行っていたものやら、ミンクが帰ってきたのは、太陽が地平線に半分近く隠れてしまった頃だった。
「おかえり。暗くなってからじゃ大変だから夕飯の仕度しといた。食材いくつか使わせてもらったけどいいよな?」
 俺が示した先にある鍋を見てもミンクは何も言わなかったので、勝手に了解ととり、もう1品考えておいたメニューを手早く作る。そうこうしている間に陽が沈み、周囲は一気に暗くなった。
 ぼーっと立ち尽くしていたミンクに座るよう促し、取り皿がわりのスープボウルとカトラリーを渡す。火に掛けて温めなおしておいた鍋の蓋をとると、湯気とともに立ち昇った匂いに、ようやくミンクの表情が動いた。
「この匂いは……醤油、か?」
「当たり。俺が持ってきてた調味料とか、古くなって捨てるのも勿体ないからあるだけ全部使った。アンタが碧島で日頃どんなモン食ってたか知らないけど、日本食ダメってことはないだろ?」
 また返事がなかったが、いつもみたいに祈るような仕草をして鍋の中身に手を付けたから、とりあえず食べてみてはくれるらしい。
 茶色に染まったジャガイモがミンクの口に運ばれていくのを、俺は内心ドキドキしながら覗き見た。久し振りに肉ジャガが食べたくなって作ったそれは、ジャガイモと缶詰のウインナーだけという具材不足もさることながら、ダシは使いかけの鰹節パック1袋のみだし、味醂がなくてかわりにハチミツで甘味を補ったから、元の料理からはだいぶかけ離れた代物になっている。
 作った本人としてはちょっと微妙な出来だったが、ミンクは文句1つ言わなかった。もう1品の、缶詰のアスパラとコーンに梅干しで作ったドレッシングを掛けたサラダともども、欠片も残さず全て2人の胃に納まる。
 食後、鍋や食器を洗っていると、その間にミンクが湯を沸かしてコーヒーを淹れてくれていた。
 マグカップを寄越すミンクの目は、何か物言いたげだった。
 気にはなったものの当人が話す気になるまで待とうと思い、冷ます振りをしながらちびちびと啜る。
 熱湯のようだったコーヒーが完全に冷めて、あと1口2口で飲みきってしまう頃になってようやく、ミンクが重い口を開いた。
「やはり、お前は日本へ帰れ。明日、近くの町まで送ってやる」
「嫌だ。絶対に帰らない」
 やっぱりそうきたか。と思いながら、俺は即答した。
 朝ここを飛び出していったミンクは、丸1日掛けてそのことを考えていたのか?
「何故そこまで俺に係わろうとする」
「俺がそうしいたからに決まってるだろ」
「……」
 ミンクが俺から目を逸らして、我儘な子供に手を焼く大人のような表情で深い溜息を吐いたのが、無性に悔しかった。
 トリの言うことが真実なら、ミンクは俺がここに居るのを嫌がっているわけではなく、あくまで俺のためを思って帰るよう諭してるってことになる。復讐を遂げた後の抜け殻に付き合っていては時間の無駄だとか、きっとそんな風に考えているに違いない。意志の強さに比例した頑なさで。
 そんなミンクに、俺が単なる好奇心や、一時の気の迷いでここに居たいと言ってるんじゃないって分かってもらうのは難しいと思う。でも、分かってもらえなかったら、俺だって救われない。そのくらい本気で思いつめてる。
 こんなにもどかしく感じるのは、俺とミンクの心の距離が、すぐに行方を眩ませてしまうミンクを、俺が一生懸命追い掛けていた頃と大差がないからだ。
 形振り構わず追い続けることでミンクを立ち止まらせることができたように、形振り構わず考えたこと思うこと全てを曝け出せば、ミンクは俺を見てくれるだろうか。
「アンタは……、アンタこそ何でそんなに俺を追い返そうとするんだよ。筋の通った理由もなしじゃ納得できるわけねーだろ」
「邪魔だからだ。立派な理由だろうが」
「じゃあ、どこがどう邪魔なのか、具体的にはっきり言ってくれよ! 自分の進む道は自分で決めろって教えてくれたのはアンタなのに、そのアンタが、俺が自分の頭で考えて選んだ道を否定するって、酷ぇよ……。そもそも、自分が何したいのかも分かんないまま、状況に流されて生きてるようにしか見えない今のアンタに、言う資格あるのか」
 空気が痛いほどの緊張を孕んだ。

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